私の知らない青春。 | えんじぇるの言の葉。

私の知らない青春。

かぐや姫
ベスト15

今日の報道ステーションの特集で、
かぐや姫の名曲中の名曲「神田川」の裏話をやっていたので、
思わずうとうとしてたえんじぇるは目が覚めちゃいました。

もちろん、えんじぇるはこのかぐや姫をリアルタイムで知ってるわけではないのですが、
なぜか1960年代後半~1970年代中頃(?)くらいまでの、
いわゆるフォーク~ニューミュージックの曲って素直にめっちゃ好きなのです。

その後のレコード会社移籍まで(←ここ重要(^^;)のオフコースに通じる、
全く都会的でないシンプルである意味泥臭い歌詞、
悪く言えばお涙頂戴、もしくはそのまるっきり対極にあるメッセージ性の強い曲。
どちらにしろ心に突き刺さる程のストレートなピュアさを持ってるんですね。

その中でもこのかぐや姫の「神田川」って曲は、
舞台は都会の片隅で肩を寄せ合い暮らすカップルの歌なのですが、
この曲が生まれた当時の社会も知らないはずのえんじぇるでさえ、
聴くたびになぜか涙がでちゃうのです。

だって、、、、女の子だもん。

もちろん、えんじぇる自身はこの歌の歌詞のように誰かと同棲したこともなければ、
さすがに三畳一間に暮らしたこともない、、、こともないか。
私が生まれた頃、父と母は風呂無し・トイレ共同の三畳一間のアパートにいたそうですから。
それも一家五人で(^^;。

そういう意味では、えんじぇるにもかすか~な記憶でもあるのかしらん?(^^;

で、この曲の作詞をされた喜多条忠さんの実体験を元にして、
電話で歌詞を聞くと同時に曲が出来たという南こうせつさん。
そして、それが逆に、かぐや姫というグループの解散を招き、
こうせつさんはその後二十年間もこの歌を歌うことを止めていたそうです。

しかし、この曲に青春を重ねていた人達の想いを知って、
こうせつさんはまた歌うようになり、
今日、久し振りにえんじぇるも聴くことができたわけです。
(↑どうせなら生演奏にして欲しかったけど(^^;)

ただ、かぐや姫のこの曲にしろ、例えば、
その後の伊勢正三さんの「22才の別れ」にしろ、
イルカさんも歌った「なごり雪」にしろ、
えんじぇるの知らないはずの時代の「青春」がそこにあり、
知らないからこそ、そのきれいな部分だけしか見えなくて、
えんじぇるは素直に憧れちゃうのかも知れません。

実際は、反戦運動、学生運動の吹き荒れる中、
エネルギーの発散と挫折を痛感する時代・世代だったんですよね。

正確には、そのムーブメントはフォークからニューミュージックと名前を変える頃で、
社会は個々のエネルギーを失ったと同時に、
静かな幸せな、無個性な幸せに埋没(失礼(^^;)する時代に変わって行ってしまい、
その音楽性も静かに消えて行ってしまっているわけです。

もしえんじぇるがこの60年代・70年代に青春を過ごしていたら、
どんな感じだったんだろうと、時々思うことがあります。

かぐや姫や伊勢正三さんの曲を聴いてると、
そのえんじぇるの知らないはずの青春時代に戻った気がするのは、
とても不思議ですが何気に心地良かったりします。

伊勢正三, 瀬尾一三, 佐藤準, 重美徹
WORKS

↑えんじぇるもフォークギターを弾けたら良いのになあと思ったり。
でも、えんじぇるにはやはり才能がないらしい(^^;